michynoteの日記

ファイナンシャル・セラピスト。 大手証券会社で約20年間営業を経験、 別の証券会社にて調査部経験もあり。 CFP®︎認定者。 傾聴とトランスパーソナル心理学のメソッドを用いて、あなたのモヤモヤをクリアにします。

年度末に想う

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年度末の週末。

初夏を思わせるような気候の中、都内で一日ワールドワーク(注1)の体験の場に身を置いた。

それぞれのワークの中で、テーマは違えど"共通してその場にあるもの"がそこにあり、自分の課題〜あるいはエッジ(注2)〜にもそこで幾つか光を当てることができた。

ファシリテーターを務めた3名の方々の連携が素晴らしかった。後で尋ねると「互いを信頼している」との言葉、そして入念な準備を行なってきたとのこと。初めて参加された方もとても満足されていたのを見て、ほっとされたとのことだった。

 

暖かく慈愛に満ちた場だった。

と同時に浮き出した、自分そして社会の"課題"にもじっくりと取り組んでいこう、と静かに感じている。

 

多くの人が居場所を変える年度替わり…

自分では内面で何かが動いて、ひとつ区切りがついたような感覚を覚えている。

 

 

(注1)プロセスワーク(プロセス指向心理学)を多人数、つまり組織やコミュニティにおける葛藤の解決に応用した技法。

(注2)個人やグループのプロセス構造において、1次プロセス(自分だと思っているもの・受け入れやすいもの)と2次プロセス(自分ではないもの・受け入れ難いもの)の境界。

(自分を守る)信念や価値観であり抵抗や恐れとなって現れる場合が多い。

 

参考『ワールドワーク』アーノルド・ミンデル著

2度目の入院〜療養生活 その2:検査を重ねてCTの影の正体を知る


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(南天「難を転ず」に通じるからか、病院の正面玄関脇の植え込みに幾つか植えてある)

 


《おことわり》

この記事はあくまでも私個人の体験を綴ったものです。

実際の治療に関わっている方は、主治医の判断を仰いでその治療方針に従ってください。そこで納得がいかなければ、他の信頼できる専門家を尋ねてみてください。

 

 

 

2023年後半は、自分にとって大きな転機の年となった。

7月半ばに階段から転落して一時意識不明で救急搬送、その時折った左肘の関節治療のため金属板を入れる手術を、3泊4日の入院中に行なった。

 


同時並行して、救急搬送先の病院で撮ったCT画像に影が写っていたと連絡が入る。

 


骨折の治療が一段落したところで、同じ病院の乳腺外科で幾つかの検査を行い、1回目の生検(組織診)の結果が8月29日に出ることとなった。

 


詳しくはこちらをご覧ください

その1:ラッキーか否か CT画像に映る影

https://www.mi77.jp/entry/2023/11/29/205951

 

 

 

【生検の結果】

さて生検の結果は…


「良悪性」だった。


…はい?

…なんだそれ⁈


要は良性とも悪性とも言えない。

だが放っておいていいものでもない。この段階で「できもの」を切除することもできるが、もし周囲に転移していた場合、さらに広い範囲を再び切り取らなければいけない、とのこと。

 


それもなんだかなぁ…

医師と相談した結果、再び生検を受けることにした。

また「良悪性」となっては困るので少し間を開け、9月26日に2度目の生検の日を設定した。

 


ただここで自分の中にひとつスイッチが入ったような気がする。

「終わらせるものは終わらせる」

2021年から日本プロセスワークセンターの学生として学んでいたが、あと少し頑張ればフェイズ1(第一学年)を修了できるとわかって、急遽締切2週間前に(こちらはアメリカ本部に合わせているのか9月が年度末になる)バタバタとレポートやスーパービジョン(セッションを行って教官=ファカルティから指導していただく)を終わらせた。周囲には驚いたり眉をひそめていた人もいたけれど、先延ばしして学びを続けられない状況になってしまったら困るのは自分だ。

このプロセスについても日を改めて書き留めておきたい。

 

 

【再生検の結果〜再び手術へ】


子供達からは「もっと早くできないのか?」とも言われたが、間を開けて再度生検を行ない、2週間後の10月10日に結果を聞きに行った。

診察は予約制だが、いつも混んでいるせいか大体予約時間より遅れる。患者は受付番号で各診察室前に表示されるが、前の患者さんが終わったあと番号は空白のままでいつもより長い時間が経過した。

 


ああこれは…先生、説明の準備しているんだなあ

…ってことは…


程なくして自分の受付番号が表示された。

中に入ると担当医がパソコンのモニターを見つめて少し難しい顔をしている。


「…残念ですけど、出ちゃったんですよね、ガンの細胞。悪性です。…手術になりますねー」


左乳房乳ガン ステージ1 

浸潤型(転移の可能性有り) 

乳ガンのサブタイプ:女性ホルモン受容体陽性/HER2陰性(ルミナルA)

   (ただ若干HER2反応も出ているため手術の過程でとった組織でさらに調べるとのこと)

 


あー…

想定内ではあったけど、なんだかなあ…


と思ったのはほんの一瞬で

「いやー、切れる(手術ができる)なら御の字ですよ。そうしたら日程決めないといけませんね」と医師に話していた。

これは二十数年前、家族がガンになった時ガンセンターの医師から「かなり転移があり外科では対処ができない(手術できない)」と言われた経験があったから、こうした言葉が出たのだろう。


ただ一日経ったら「…手術かあ…」と気が重くなってきた。前回は術後24時間はぐったりとなっていたっけ…


そうは言っても放っておくわけにもいかない。

幸い何か症状があるわけではないので、MRIやCTの検査の合間にライブや旅行にも行きつつ、11月22日に入院、祝日を挟んで24日に手術と決まった。予定では10日間とけっこう長い。

パジャマのレンタルもあったが、自前で持っていくことにした。前回のように肘の関節が折れて三角巾で固定されているわけでもないので、キャリーケースに荷物を詰め、病院の送迎バスにひとり乗り込んで2度目の入院&手術に向かうこととなった。

 


(その3に続く)

 

 

 

参考サイト:中外製薬「おしえて乳がんのこと」

 

2度目の入院〜療養生活 その1:ラッキーか否か CT画像に映る影

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《おことわり》

この記事はあくまでも私個人の体験を綴ったものです。

実際の治療に関わっている方は、主治医の判断を仰いでその治療方針に従ってください。そこで納得がいかなければ、他の信頼できる専門家を尋ねてみてください。

 

2023年もあと1ヶ月余り。

晩秋の日を私は病室内で過ごしている。人生2度目(お産を除く)の入院そして手術だった。

 

ただし今回のそれは、7月に肘の骨折→金属板による固定手術を行なった整形外科の治療ではない。そちらはまだ可動域は元に戻らないものの、経過は順調で週2回のリハビリ(家では毎日自主トレである)と月1回のレントゲン撮影・医師の診断と確認を行なっている。日常の動作は両手で顔を洗う事(まだ左肘が完全に曲がらず顔に手が届かない)以外はほぼほぼできるようになった。左手の握力は右手の半分になってしまったが、それもトレーニングで回復を図っている。

 

 

ではなぜ再び入院・手術となったのか。

話は1回目の入院・手術に向けて準備をしていた4ヶ月前にさかのぼる。

 

【事の発端】

当時は左腕が動かせなかったため、長女に入院のための買い物や入退院時の車出しをお願いしていて、そのためのやり取りを私と長女・次女3人のショートメールのスレッドで頻繁に行なっていた。(なぜか娘たちのグループLINEには入れてもらえない…)

そんなある日長女からこんなメッセージが届いた。

 

"今、I大附属病院(注:都内で階段転落時に意識不明になって救急搬送された病院)の救急のHさんって人から連絡あって、CTで見ると左胸に腫瘍のようなものがあるから、それも骨折の手術終わったあと早めに診てもらった方がいいと思って連絡きた。

今の病院でそのまま診てもらってもいいし、近くの婦人科とかでもいいと思うから、診てもらおう。"

 

…あらまあ。

それって以前人間ドックで「石灰化・要観察」って言われたところかしら。

でも頭の中は折れた左肘の痛みと、人生初の入院・手術のことで一杯で、他のことが入る余地がない。「とにかくこっち(左肘金属板固定手術)が落ち着いてからねー」と返信して、7月25日入院、翌26日手術、28日に退院し31日にリハビリ開始。8月4日に術後初めての診察で骨折の治療は一段落し、後は週2回のリハビリと月1回の診察を繰り返し、機能回復に努めるだけとなった。

 

さて、これで「CTに映る影」に向き合わざるを得ない。

 

【影の正体】

8月8日。整形外科のリハビリで通っている病院の受付の機械で「他の科を受診する」を選び予約する。胸だから婦人科かと思ってそちらに受付票を出し待っていたら「違いますよ。胸は乳腺外科ですね」と言われてそちらにまわる。

 

担当してくれるのは温和そうなW医師。整形外科に送られたI大附属病院でのCT画像を、乳腺外科でも共有できるのは総合病院の強みだなあ。

「ああこれね。確かに何かありますね…しかしよく見つけましたね」素人が見たら胸の端の方にうっすらと白い影はあるのはわかるけど…わざわざ退院した、しかも自分の病院の患者にはならない人間に電話して教えてくれるなんて。本当に奇特な人だ、ありがたい。

 

とにかく詳しい検査をしなければわからない。ということで、2日後にマンモグラフィーとエコーの検査を予約した。こちらの検査はその日のうちに結果が出る。画像を見て「うーん、やはり生検をしないと良性か悪性かわからないからね」とW医師。

 

そうくると思った。


"組織診(生検)は、乳房の病変部に細胞診よりも太い針を刺し、病変部の一部を取り出す検査です。"(中外製薬「おしえて乳がんのこと」より)

 

医師からは「ホチキスみたいなのでパチンと大きな音がしますからね。ちょっと響きますよ」と聞かされたが、要は針で組織を取り出すらしい。ただ自分の場合、そんなものを目の当たりにしたら検査どころではなくなるので〜なにせ採血の時に自分の血を見て血圧急降下する人間なので…この分野だけは気が弱い〜目を閉じてただ終わるのを待つ。

パチン、パチンと2回組織を採取した。その度にごめんなさいねー、ごめんなさいねーとW医師は言うのだが…

 

いやそれ一回でいいから。

 

その日は会計で待たされたあげく、料金が19480円と予想以上でクレジットカードで払った。たまたま近所の方と病院で会って、その方が車で送ってくださるとおっしゃってもらったのに…ずいぶん待たせてしまうことになった。

暑い中本当に申し訳ない。

 

生検の結果が出るまで2週間。

記録的な猛暑の中、家で久しぶりに夏の甲子園大会をテレビで堪能しているうちにその日はやってきた。

 

8月29日。乳腺外科の外来で医師から告げられだ結果は….。

 


(その2に続く)

人生初の入院〜療養生活 その4:入院そしていよいよ手術 (後編)

 

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今年の7月半ば、階段から転落して一時意識不明で救急搬送、左肘骨折で入院・手術までの顛末を書き記している。

 

 

その1:事の顛末

https://www.mi77.jp/entry/2023/08/26/155724


その2:皆のコメントで初めて起こったことを知る

https://www.mi77.jp/entry/2023/10/13/144907


その3:肘の手術を待つ間、わき上がってきたもの

https://www.mi77.jp/entry/2023/11/08/095511

 

その4:入院そしていよいよ手術

(前編)

https://www.mi77.jp/entry/2023/11/22/203841

 

 

 

「河野さん、河野さん」

周り中から3、4人に呼びかけられる。一瞬「うるさいなぁ」と思ったが、そうだ、手術が終わったんだ、とわれにかえった。

「わかりますかー?」と看護師さんから問われ「はい」と答えた…つもりだったのだが「…はぁ〜ぃ…」と蚊の鳴くような声しか出ない。意識もぼーっとしている。

意識の奥底の自分は普段と変わらないのに、そこと外からの働きかけに応じる意識、さらに身体(口の動き等)がうまくつながっていない感じだ。

ストレッチャーからベットごと移動して病室に戻ったと思うが、記憶が定かでない。ずっとうつらうつらしていたのだろう。

 


とりあえず娘たちに手術が終わったことを伝えないと…と携帯を右で取ろうとして少し動いただけなのに、左腕に痛みが走る。

措置・固定の仕方が良かったせいか、骨折の痛みは同じ姿勢を取っていればそんなに感じない。痛さというか「ゴロッ」と肘関節の骨の一つが変な方向に動く時の違和感はなんとも言えないものがあったが…

そこに2枚の金属板を入れボルトで骨を固定し正しい位置に整えるのが今回の手術なのだが、今までの痛みとはまた質の違う「切った傷の痛み」が麻酔がきれるにつれて波のようにやってきた。

 


今までの「身体が楽な姿勢/ポジション」とは違うまた楽なポジションがあるんだろうけど、それを見つけるまでに七転八倒した。

それでも「終わった」と娘たちとの共通スレッドに打ち込み、

「お疲れ様」の返信が2人から返ってくる。

そして「手術順調でしたよー♬」とドヤ顔で整形外科の執刀医の先生が挨拶に来たのは覚えている。

 

 

翌日。その日の昼ごはんから食事が再開されたが、とても食べられる状況ではなかった。

次の日の退院の時間等、迎えの車を出してくれる長女に連絡する。頼んでおいた書類の確認事項などを問い合わせるメッセージなどが折り返し届く。右手で打つのだが携帯を構えるだけで痛みが走るので、単語をいくつか返すのが精一杯だった。

 


するとそのうち

「何が大変なの?なんて言われた?あんた主語がなくて全然わかんないからちゃんと説明して。」

と長女から。

 


「書類大丈夫

大変なのは痛みや熱」

と返してその後数回のやりとりの後、

 


「あのさ、子供じゃないんだからちゃんと文章にしてよ。こっちも忙しい中連絡してんだから。

(以下略)」

 


「痛くて打てないんだっては」

 


そのうちこのやりとりをみていた次女が書き込んできた。

 


「おね(注:長女)の言いたい気持ちもわかるし、返答で重要なこと何言ってるのか分かりにくい文も確かにあったんだけど、、

 


私も全身麻酔した後その次の日までずっと眠かったり頭ずっとぼーっととかするくらいだから、昨日もケンカっぽくなってたし、もうあんまり強く言わない方が良いと思うよぅ

 


口挟みたい訳でもないんだけど、ちょっと術後のこともわかるから気になって、、!

気は悪くしないでほしいので、これにはなんの返信も要らないから、また後で〜🙆‍♀️」

 


長女は全身麻酔での手術の経験はない。なのでこうしたやり取りになったんだと思って2人のやり取りを見ていたが、

 


この時の長女と同じように「何言ってるかわからない。結論を先に言って!」と娘たちがまだ小中学生の時に言っていたような気がする。子供の頃ぼーっとして優柔不断に見えていた長女は、大学生時代にバイトを始めてから、ものすごくしっかりしてきた。その反面ちょっとキツい言葉を身内の中では使うことが出てきた。

 


まあでもなぁ…

こう育てちゃったのは私だしなぁ

 


長女と次女のやり取りが、今私が学んでいるプロセスワーク(心理学の一つの手法。ただそれにとどまらない深さがある)でいうところの、

 


・1次プロセス:自分である、自己一致しているもの。馴染み深いもの(ここでは長女「ちゃんと説明して」)

・2次プロセス:自分ではない馴染みのないもの。時として嫌な・望ましくないもの(ここでは次女「麻酔が残っているのでぼーっとして訳がわからない文しか返せない時もあるのだ」)

のやり取りに見えて興味深かった。

 


バタバタと退院して、夏の間は記録的な暑さもあって、冷房の効いた部屋で夏の甲子園三昧(開会式を見たのは小学校の時以来だ)、その間に週2回のリハビリや、オンラインでのセッションや講座を受けて過ごした。

最初は皿一枚持てなかった左手も、日常の家事等だんだんと元通りにできるようになってきた。

 


手術からまもなく4ヶ月になる。

経過は順調で、固定された骨も自力で半分以上くっついているのを月一回レントゲンを撮って主治医と確認している。

術後約2ヶ月で車の運転も再開できた。あとはまだ正常に戻っていない可動域と(左肘が曲がりきらずまだ顔にようやく指先が触れるくらいなので、両手で顔が洗えない)、右手の半分以下になっている握力の回復、それとずっと残っている左手指のむくみの解消を目指して、目力美女の理学療法士さんとストレッチメニューを相談しながら引き続き週2回のペースで行っている。

 


まだ「体力は以前の半分」って感じなのだが、「それで人並み」と返されることもある(笑)

 


あと出来事としてはとんでもないことだったが(アルコール入った状態で階段から転落し救急搬送。危うく現場の仲間のサロンを"事故物件"にするところだったと言われたw)、視点を変えてみると深い分岐点・学びであるとわかる。これは4年前から学んでいるプロセスワークの視点から見るところが大きい。これも改めて別の機会に記したいと思う。

 

 

 

さて。

このシリーズもここで一旦終わる。とはいえこれを書いているのは4ヶ月前に手術したのと同じ建物内の病室であり、あと1時間半後には手術を受ける。

 


先の整形外科でのケガの回復は順調‥ではいったい何か?

 


それは術後回復次第綴っていく予定なので、気を長くして待ってくださる方は待っていてほしい(笑)


(了)

 

 

 

 

人生初の入院〜療養生活 その4:入院そしていよいよ手術 (前編)

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今年の7月半ば、階段から転落して一時意識不明で救急搬送、左肘骨折で入院・手術までの顛末を書き記している。

 

その1:事の顛末

https://www.mi77.jp/entry/2023/08/26/155724


その2:皆のコメントで初めて起こったことを知る

https://www.mi77.jp/entry/2023/10/13/144907


その3:肘の手術を待つ間、わき上がってきたもの

https://www.mi77.jp/entry/2023/11/08/095511

 


【初日】

さて入院当日。午後2時に病院に入る。

予定通りなら3泊4日。明日は手術だ。

運よく長女が車を使える日だったので(週2日だけご主人が車を使わず別の現場に行くので車が使える)、荷物ともども送ってもらう。長女にはもれなく生後4ヶ月(当時)の孫3号がくっついており、そんな状況で炎天下の中、車を出してもらうことにいささか申し訳なさを感じる。

 


受付を済ませ長女と一緒に5階の入院病棟のフロアに上がる。エレベーターホールまで来ると、フロア専属の看護師さんが出迎えてくれて、荷物もその人に引き渡す。

感染防止のためか、病室のあるフロアへの出入りは医療スタッフが持つIDカードがないとできない。

昔の病院のように入院患者がパジャマ姿で1階の売店で買い物をする…というのは不可能らしい。

たまに2階のリハビリ室の入り口で入院患者を見かけるが、皆スタッフに付き添われている。ちなみにリハビリ室は外来患者と入院患者で部屋が完全に分かれている。

 


見舞いもどうやら控えられているのか、それらしい家族等は見当たらない。

 


荷物を整理して着替えるととりあえずフロアを一回り。

本来は中の撮影は禁止なのだが…

北には筑波山、南にはつくばエクスプレスをのぞむ景色はまあまあかな。自販機のあるラウンジもあった。

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と、部屋に戻って諸注意の説明書きをみるとシャワーの使用時間は16時半までで予約が必要らしい。あわててナースステーションに駆け込みなんとか最後に入れてもらえた。

まだ左腕を吊っている状態なので、そこを大きいビニール袋(自治体指定のゴミ袋wあとでちゃんと本来の用途で使用する)でくるんでシャワーを浴びる。明日は手術なんでシャワーも無理だろうな…まあ病棟は空調が効いてて汗もかかないが。

 


病室は4人部屋で満床である。皆静かな方ばかりなのかいわゆる「話好きのおばちゃん」はいなかった。ずっとベットまわりのカーテンが閉じられているので、そっと「…よろしくお願いしまーす…」と声を掛けてみたものの反応は無し。

 


さて翌日は手術ということで、食べることは本日まで、飲み物は午前6時までとのこと。近所の人から「入院⁈だったら何か(間食になるもの)持っていくといいわよ」と言われてバックの中に詰めたクッキーを、夕食後にバリバリと食べる。

病院の食事はまあ…そこに期待をするものではないし。作ってもらって申し訳ないけれど。

 

 

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【2日目〜手術前】

明け方目が覚めて、タイムリミットの6時までペットボトルのお茶やアイスコーヒーを飲み続ける。

それ以降は本当に何もすることがない…。

折れた左腕は曲げた状態で固定され、手術の準備のために右手は点滴を受けている。身動きが取れないので、5階の病室の真下に見える病院の駐車場で、走行指示の矢印に従わない"違反車両"を見つけるという暇な脳内作業にいそしんでいた。

 


そのうち時間になり、まず同室のAさんが手術の準備のため着替えや諸々の措置に入った。主治医の先生が何度か様子を見にきたのだが、話を聞くとAさんと私は同じ先生が担当で、Aさんは膝の金属板を抜く手術、そのあと私が肘に金属板を入れて折れた肘関節の骨をあるべき形に整える手術を行なう。ついでに言うとその2件のオペを終えたあと、先生は南の島にバカンスに行くそうだ(笑)

 


カーテン越しにAさんの準備が整い、看護師さんと共にオペ室に向かうのがわかる。その会話や気配を感じているうちにだんだんドキドキしてきた。

 


そしてついに自分の番に(あとでAさんに聞いたら、金属を外す手術は約1時間だそうだ。私は入れる方で3時間だった)。点滴スタンドを右手で持ちながら車椅子に乗って押してもらいながら移動する。病室からエレベーターで3階に降りるともうそこは手術室前で、フロア全体がなにか違った雰囲気だ。

手術台に乗ると執刀医の先生はじめ3人?がかりであれやこれやと措置をする。そのうちいよいよ麻酔が始まった。

「はーい、すぐ眠くなりますからねー」うーん、眠くなるというより敵のスパイにしびれ薬飲まされたみたいなんだけど…

思ってたのと違うんだけど…

 

 

 

やがて意識が遠のいた。

 


(その5に続く)

人生初の入院〜療養生活 その3:肘の手術を待つ間、わき上がってきたもの

 

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今年の7月半ば、階段から転落して一時意識不明で救急搬送、左肘骨折で入院・手術までの顛末を書き記している。

 


その1:事の顛末

https://www.mi77.jp/entry/2023/08/26/155724

 


その2:皆のコメントで初めて起こったことを知る

https://www.mi77.jp/entry/2023/10/13/144907

 

 

 

病院から自宅へ戻る。

救急搬送先から退院後2日間は次女の所にいたので、久しぶりの?我が家である。まさか左腕を骨折して三角巾で吊った状態で帰ってくるとは思わなかった。

 


まずは片手で荷物の整理をする。

階段から転落した当日着ていた服が出てきた。

キュロットスカートや靴下など、下半身に身に着けていたものはそのまま洗濯機に。そして上半身に身につけていたカットソー2枚と下着は、脇の縫い目あるいは正面から真っ二つに切られていた。以前テレビで見たことがあるが、救急搬送された患者は一刻も早く必要な措置を施さなくてはなくていけないため、着ている服に躊躇なく医療スタッフがハサミを入れる。自分の場合は首とか腕とか上半身だったんで、その部分の服や下着が切られているのだろう。

 


それらを見た瞬間、

「ああよかった。高い服じゃなくて」

「どうせこの下着、脇がたわんで来たからそろそろ捨てようと思ってたし…去年の暮れに買ったばかりのものじゃなくて良かったー」

といった言葉が浮かんで来た。

そうだよな。夏物だから全部合わせても1万円でお釣りくるくらいだし。高い服着てる時は気をつけないとなぁ…

 


いやいや

そうじゃないでしょう

 


いつもならそのままやり過ごすところに、その日は小さな違和感を感じてしばらくそこにとどまってみた。

 


「高い服でなくて良かった」は確かにある。でもその他にも何かある。なんだろう…あまりすっきりしない、むしろ"良くない"感じかなぁ…

 


ただただそれを感じてみる

やがて浮かび上がってきたのは

「情けない」だった。

 


ああ情けない。自分の不注意でこんなことになって。みんなに迷惑かけて。

 


せっかく楽しみにしていた2日目の講座や、その後の推しバンドのライブも自分からオシャカにしてしまって行けなくなった。

 


本当にいい年をして…ああ情けない、情けない…

 

 

 

そうやってひとしきり「情けない」を感じ尽くすと、別のものが立ち現れてきた。

それが言葉になるまで、しばらく待ってみる。

 


すると「悲しい」という言葉になった。日頃の自分が感じにくい感情なのに…意外だ。

何が悲しいの?

 


「確かに安い服だし、2シーズンは着てるので惜しくはないけど、こんな形で突然服の役目を終わらせることになるなんて」

「このうちの一枚は次女が一緒に買い物に行った時に、別の赤いサマーニットの下に着るといいよと言って、選んでくれたんだっけ…その気持ちを台無しにしちゃったなあ…」

 


なんだか…悲しいなあ

 


この間、時間にしたらどれくらいだったか…十数分くらいだと思う。

途中で「そうは言っても救急外来の正しい措置だよ」「これくらいで済んだんだから良しとしなくちゃ」などと様々な声や考えも湧いてきたが、「そうだね」と一旦受け入れて脇へ置き、「悲しい」にフォーカスし続ける。

感情は感じ尽くすと流れていくという。湧いてきたものや現れてきたもの、様々なものが心のなかにうごめいていたが、やがてそれらは消え、静かになった。

 


ありがとう。今までありがとう。

 


服だったモノたちはただの布になり、資源ゴミの日に処分されていった。

 

 

 

些細なことだったが、今まであまり感情は感じないようにしてきた自分にとっては、何か特別な体験だった。

 


そうこうしているうちに、入院当日を迎える。

お産以外では初めての入院。ワクワク?8:不安2というなんともフワフワした心持ちだった。

 


(その4に続く)

人生初の入院〜療養生活 その2:皆のコメントで初めて起こったことを知る

 

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前回「人生初の入院〜療養生活 その1:事の顛末」はこちらから↓

https://www.mi77.jp/entry/2023/08/26/155724

 


7月半ば、緊急搬送された都内の病院からは1日で退院できた。

ただ「CTで異常はないものの頭も打っているので、一人でいて夜中何かあったらマズいのでは」との長女の意見で、次女がいる私の実家で次の通院まで過ごすことにした。

 

確かに左腕の痛みが落ち着くと、頭も痛く触れると大きなコブができている。この痛みは結局1週間程度続いた。両足もいわゆる「青タン」が足首の上の辺りに結構な広さでできている。これまた触ると痛い…。幸い仕事が休みの次女が、ご飯を作ってくれたり、洗面台の前に椅子を持ってきてそこに腰掛けて頭を洗ってもらったりもした。これは大変助かった。翌日自宅に帰ってからは当然一人で洗うのだが、頭だけ前に出すとふらついてしまう。ここで万が一倒れでもしたら目も当てられない。


退院した当日は夕刻でもありバタバタしていたので、翌日Facebookに友人限定で「いろいろご心配・ご迷惑をおかけしました。今は自宅に帰って養生しております」と投稿した。

 すると、「よかったー!」「心配したよー!」などの言葉の後に、泣き顔の絵文字を5〜6個並べる人が何人もいた。あれ?なんでみんなそんなに…?と軽い違和感を覚える。

 そのわけは当時現場にいた人のコメントでわかった。

「倒れてた時は、血の気が無くて真っ白だったんだよ。血圧が低くて、救急隊に内臓損傷の疑いと言われて…」

そうか。

一時意識不明だったのは、昨日帰りの車中で他の人の投稿を見て知っていたが、転落直後に自分がそんな状態だったとは知らなかった。改めて腕の骨折だけで済んだことに安堵する。そしてこんなに皆さんに心配をかけてしまったことに、申し訳なさとありがたさが湧き上がってきた。

 


娘たちにも迷惑と心配をかけてしまったが、こんな時「何やってるの!」と怒りそうな長女が平然としている。恐る恐る聞いてみると「いや、呆れて物も言えないんで」と淡々とした返事が返ってきた。

 


さて、意識不明だったこともあり、この2日間に自分やその周りに起きたことを、他の人から聞いて初めて知る、ということがいくつかあった。偶然話にでたり、自分から聞いたりして知ったことだった。自分のことなのに自分が知らない、というのはなぜか落ち着かないものだ。

 


・土日でプロセスワークの連続講座に参加していたが、日曜日は救急搬送で入院となってしまい不参加。そこに参加していたFacebookの友人が、私の無断欠席を心配してかメッセンジャーアプリで電話をくれたらしい。次女が出てことの顛末を話し、それを講師も含めて講座参加者に伝えてくれたとのこと。参加者全員で私のために祈りの時間を設けてくれたという。

 


・転落後しばらくして「痛い、痛い」と言っていたという。救急車が来てくれたあたりだろうか?ただ自分では全く記憶にない。

 


・救急車で病院に向かっている時、幾度か「次に繋いでください」と救急隊の方に言っていたとのこと。付き添ってくれた方から聞いたのだが、当然こちらも記憶にない。

 


・たまたま手帳に挟んであった宅急便の控えから、次女に連絡がついたらしい。彼氏の車で千葉から来てくれたのだが、夜中に到着した二人に対して「なんで来た⁈」と怒ったらしい。事故の翌月に次女から聞いたのだが、これは酷いと思った…ただこれも記憶にない。「私はいいから、彼に謝ってよねー」と次女には言われたが、まあ当然である。

 


この他にもきっと自分の預かり知らぬ発言があるのだろう。

意識がない?のにはっきり喋っている…いやはや人間の身体の不思議さに驚くと同時に、一体何を口走ったものか、考えると冷や汗がジワリと吹き出てくる。

 

 

 

さて7月の3連休も明けた。

長女の車に乗せてもらい、地元の病院に向かう。

改めて肘のみのCTを撮っての結果は、左肘関節がTの字に折れており、金属板で固定する必要がある、さもなくば曲げ伸ばしができなくなるとのこと。金属板を入れる手術を受けるため入院することになり、1週間後と入院日が決まった。

 


お産以外の入院は初めての経験である(厳密には生後3ヶ月で百日咳で入院したのだが、当然記憶にない)

また全身麻酔での手術も初めて。

 


いやはやどうなることか。

80%のワクワク?と20%の不安で、入院までの1週間を過ごすことになった。

 


(その3に続く)